1950-03-30 第7回国会 衆議院 文部委員会 第14号
これは昭和九年武田伍一博士が法隆寺保存工事事務所長時代に、金堂壁画の保存事業として、一、壁体そのままをとりはずして保存すること、二、原寸大写真を撮影すること、三、この写真を基礎として絵画的摸写を試みることなどの問題が研究せられました際に、一は遂に実現を見ず、三による摸写も未完成に終り、しかもそのうちの大部分は昨年壁画とともに損傷しましたが、二の原寸大写真の撮影だけが、完遂せられておりましたので、今日
これは昭和九年武田伍一博士が法隆寺保存工事事務所長時代に、金堂壁画の保存事業として、一、壁体そのままをとりはずして保存すること、二、原寸大写真を撮影すること、三、この写真を基礎として絵画的摸写を試みることなどの問題が研究せられました際に、一は遂に実現を見ず、三による摸写も未完成に終り、しかもそのうちの大部分は昨年壁画とともに損傷しましたが、二の原寸大写真の撮影だけが、完遂せられておりましたので、今日
ニ、先般の法隆寺火災等國宝、重要文化財行政の失敗の責任者として、國宝保存会、法隆寺國宝保存協議会、法隆寺壁画保存調査会、法隆寺國宝保存事業部及び法隆寺國宝保存工事事務所等のすべての関係者は、今回委員会の委員として就任するはもちろん、何らかの形で文化財保存行政の一切に介入または干渉せしめないこと、というのであります。
まず私は法隆寺金堂火災に至るまでの保存工事事務所内の実情の概要を申し述べます。 日本最古の文化、再考の日本美術の殿堂を汚濁したことは、最も遺憾とするところであります。
すなわち一行は委員長の御指示通りに四月二十七日午後七特東京駅発、翌二十八日午前七時五十二分奈良駅着、出迎えの奈良縣松友教育長と視察日程打合せの後、法隆寺に直行、親しく金堂を初め五重塔、聖霊院、食堂、宝物館、夢殿等を視察し、中宮寺や保存工事事務所、壁画のいわゆる記憶模写の現場にも立ち寄りました上、寺務所において佐伯貫主以下の法隆寺側、乾技官以下の保存工事事務所側、また文部省の委嘱によりまして折から出張調査中